1804年、人類は初めて世界人口10億人に到達した。そこからわずか123年後の1927年には20億人、1960年には30億人、1987年には50億人へ達する。現在では80億人を超えている。この急増を知る現代人には当然に見えるが、18世紀以前の人々にとって人口とは、国家を左右する最も重要な相場の一つだった。
17世紀から18世紀にかけての絶対主義国家は、人間を個人としてではなく、人口、穀物、税収、兵員という数値の集まりとして見ていた。王たちが日々気にしていたのは「穀物相場」である。凶作で穀物価格が上がれば、飢饉、暴動、徴税不能が連鎖する。国家の安定は穀物価格に直結していた。フランス革命前夜の穀物価格高騰も、その危険性を示している。
この時代に登場したケネーは、金銀を集める重商主義を批判し、「土地相場」こそが社会の本体だと考えた。『経済表』は貨幣の流れを描いた図として知られるが、その本質は土地、収穫、余剰、税収の循環を可視化した制約地図だった。社会を支えているのは市場の熱狂ではなく、土地が毎年どれだけの余剰を生み出せるかという現実である。
18世紀末になると、マルサスが「人口相場」を発見する。世界人口はまだ10億人に達していなかったが、彼は人口増加の勢いそのものを問題視した。人口は増え続けるが、食糧生産には限界がある。人口増加が続けば、いずれ飢餓が訪れるという見方だった。
しかし19世紀の産業革命は、この相場を一時的に崩壊させた。蒸気機関、鉄道、化学肥料、機械化農業が土地制約を押し広げる。1804年から1927年までの間に人口は倍増したが、大規模な世界的飢餓は予測ほどには起きなかった。人類は土地相場と人口相場を乗り越えたように見えた。
ところが第二次世界大戦後、再び巨大な相場が現れる。医療と公衆衛生によって死亡率が急落し、1950年の25億人は1960年に30億人、1974年に40億人、1987年には50億人へ増加する。人口増加率は1963年頃に年2.3%前後という歴史的ピークに達した。ここで世界を支配したのが「人口爆発相場」である。
ポール・エーリッヒの『人口爆弾』は、人口増加による大規模飢餓を予測し、世界的な影響を与えた。人々は人口統計を見ながら、文明崩壊の未来を想像したのである。
だが歴史のクライマックスは別の場所にあった。飢餓研究の中から、人類は新しい相場を発見する。1943年のベンガル飢饉では、推計80万人から380万人が死亡した。しかし後の研究は、飢餓が単なる食糧総量不足では説明できないことを示した。食糧が存在していても、戦争、価格高騰、物流断絶、所得喪失によって人々は食べられなくなる。
ここで初めて「飢餓の発見」が起こる。人類は長い間、食糧相場だけを見ていた。しかし本当に社会を動かしていたのは、アクセス相場、物流相場、価格相場、制度相場、戦争相場だったのである。
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